本名:丸山稜介
1995年6月18日8時 兵庫県明石市出身
絵を描き始めたとき、私は誰よりも下手でした。 「もっと上手くなりたい」という想いだけで描き続けてきました。ここでは、私が「色変わるアート」を超えるまでの歩みを作品とともにご紹介します。
絵が下手だった私は、どうすれば上達できる本気で考えてみました。いつか、「左利きの人は芸術的な感性が高い」と聞いて、思いついて左手で絵を描く練習を始めました。最初は思うように線が引けませんでしたが、やがて「右手では生まれなかった自由な線」が描けるようになり、そこで自分だけのアート性が宿りはじめました。
この時期の試練が、今の「生きているアート」の原点です。
左手で感覚を磨いた後、私はデジタルに移行しました。最初はアナログのような「手の主観」がなく戸惑いましたが、ますますデジタルならではの光と質感の表現に魅了されていきました。
この時期は、漫画的な構成や陰影の研究にも力を入れ、 『アートと物語の融合』という今の原点が生まれた時期でもあります。
私は長い間、色を塗ることが苦手でした。思い通りの色が出ずに、線を描き続けることも多かったです。しかし、試してみて、色の中に「感情」や「温度」を感じるようになり、そこから表現の幅が一気にいきました。
後半では、より自由で抽象的な表現も芽生え、 「形にいけないアート」へと進化していきました。
この頃、漫画の持ち込みにも挑戦しました。編集者からは「構成はまだ荒削りだが、絵とアイデアは素晴らしい」と評価され、その言葉が次のへの創作の大きな励みになりました。
ここまで私はただ「絵が上手くなりたい」と思い描き続けてきました。 しかしSNSを見れば、私より上手い人がいくらでもいて、自分の絵に自信を持って取り組みました。 —— それなら、自分にしかできない表現を作ろう。これが、色変わるアートとの運命の出会いでした。
「この仕組みを絵に応用できないか?」そう思いついて、レンチキュラーという聞き慣れない技術の存在を知りました。
独学でその技術を研究し、思い出を語りながら、最終的に自分のアートと融合させることに成功しました。 そして——私の絵が初めて「動いた」瞬間の感動を、今でも忘れません。
コンセプト:Art = Gem(アートは宝石)
宝石は、長い年月を経て地層の圧力の中から生まれる。アートもまた、作家の人生という地層から覚悟が生まれて、もう一つの「宝石」だと私は考えています。
私は、光の角度によって色が変わるレンチキュラーの特性を踏まえ、宝石の輝きをアートで表現したいと思いました。
作品名も統一しており、 「〇〇 Gem」という形で、ひとつひとつの人生の結晶を作品として発表しています。
たくさんの人に「色変わるアート」の魅力を伝えたい。 そう考えたとき、私は似顔絵というテーマにたどり着きました。
見る角度で色が変わる――その不思議で温かい表現を、ポップアートの明るさと人の笑顔がもつ温かさに重ねてみたのです。
そこで生まれたのが、 「色変わる生きた似顔絵アート」。
光と角度が変わるたびに、その人のや想いが生き生きと笑顔がえる、世界にひとつのポップアートです。